学生時代

私、伊藤航平は東京で生まれ葉山町で育ちました。私が、葉山町を意識し始めたのは、小学~中学でサッカーをしていた事がきっかけでした。追浜にある日産マリノスに通い、中学では葉山中サッカー部で三浦半島や横浜周辺のメンバーとサッカーを通じて様々な経験と交流をしました。学校の雰囲気や環境、サッカーのできるグランドや公園・公共施設まで。様々な地域に行き、そこで見た他の地域を自然に葉山町と比べていました。

高校では県立横須賀高校の定時制に通い、昼間はビルメンテナンスや建築の仕事をしながら高校に。仕事をしながらのため、高校生扱いではなく大人と同じ扱いでした。葉山町に住んでいる事、地元への思いなど、年齢が上の同級生と生活や仕事について話す機会が多く、改めて自分の地元とは「何か」と問うようになっていました。

そして、定時制高校からは珍しい大学進学を決め、中学高校で親身になって話を聞いてくれた先生達に憧れと感謝を持ち、教員免許が取れる学校に。地元での生活や親元での生活では成長がなく、葉山町の小さな社会しか知らない大人になってしまうと感じ、埼玉県の短大へ進学。埼玉県から見た神奈川県と葉山町、人口や街並み、行政施設、行政サービスを見比べる二年間を過ごしました。

成人式で葉山に戻った時、町内同級生の数を333人と知り、参加していた6割の同級生は、中学卒業以降、学生・社会人となり、葉山町ではないどこかで みな闘っていました。私も地元が「葉山町」だという誇りを持って頑張りました。

社会人

大学卒業後は葉山町に戻り、同級生と23歳の時、建築業で独立開業。県内どこへでも仕事に行きました。県内の様々な自治体に行き、街並みや町作り、景観の違いやこだわりにも関心を持ちました。

独立と同時に建設組合に加入。青年部に誘われ、建設業の産業発展や構造改革、地域活性化と地域における建設業の役割について学びました。県内や関東・全国の青年部とも積極的に交流をしながら、神奈川県や葉山町の問題点や成功事例を考え、全国の良い制度や仕組みを学び、持ち帰りました。

そして、逗子葉山青年会議所へも入会。葉山町や逗子市の町づくりビジョンや学生世代が地域への関心を高めることを目的とした事業を行ってきました。

地域とのつながり

そして、2011年3月11日、東日本大震災。東北の壊滅的な被災、いま自分に出来ることは何かを強く問いかけ、復興ボランティアや応援イベントを現地や葉山町・逗子市で開催。被災地を訪れる学生バスツアーを複数企画実行。被災地を自分の目で見て、自分達の住む葉山町で震災を教訓に防災や減災の取り組みを積極的に行っています。また、学生ボランティアグループの立ち上げを行い、サポートを続けています。 団体やグループ・地域の垣根を越えた取り組みも進めています。

また、東日本大震災で大きな力を発揮した消防団に感銘を受け、葉山町消防団第3分団に入団。火災出動訓練や災害対応など、日々仲間たちと下山口や葉山町の安心安全をどのように守れるか議論実行しています。地域産業が地域活性化の原動力となっていると実感し、勢力的に活動をしていた葉山町商工会青年部に加入。職種や働き方も違う青年が集まり「町」の為に活動する青年部に感動した。

町のイベントやイベント主催を何ヵ月も準備して行う青年部の活動は、葉山町を「盛り上げたい、何かしたい」と思っていた私には最高の居場所でした。 逗子市で行われていた回遊イベントの「ずし呑み」を葉山の飲食店も巻き込むことができないかを探りにずし呑み実行委員会に参加。数年して、葉山の飲食店を巻き込んでのイベント開催が実現。

全国のイベントやフェスを見に行くことが好きな私は、イベントの主旨や内容、運営・企画がどのように行われているかに興味が湧き、団体・実行員会・企業にアポイントを取って話を聞きにいきました。葉山町でも意義の深いイベントを開催できたらと考え、「環境問題・被災地支援・フェアトレード・地域活性化」を目的としたミニフジロックを企画。町との会場や許可について打診と交渉。保健所・県土木とも調整。しかし数年に渉る交渉の末、町の返答は「町民に求められていない・葉山町にそぐわない」と不許可、開催を断念。

いま、葉山町が進もうとしている町のビジョンや町づくり、町民との関わり、町民主導、地域の活性化が見えないのは私だけだろうか?

これまで葉山町や県内・全国で様々な団体・グループの若手を中心に地域や産業・被災地を盛り上げるイベントに携わり、行政や他グループとも積極的に交流を図り、あらゆる方向から葉山町を盛り上げる事を模索・実行してきました。そこから見えてきた多くの課題に危機感を持ち、このままでは「葉山町」が自治体として、地域として、維持・継続・発展がとても難しいと感じました。

民間のアイディア力と行動力、個人の発想とネットワークだけがこの地域を支え、皆が手弁当で実行している。また、葉山町に転居してくる人達の独自のネットワークや発想、行動力に圧巻される一方で、地元の人や行政の後手政策に憤りと焦りを感じ、横のネットワークの大切さと重要性を学び、これまでの活動に取り入れてきました。葉山町が行政として、町民が楽しく、健やかに生活できる「町」のビジョンと方向性を打ち出し、町民主導の政策が町づくりに必要だと考えます。

地域の活性化を唱える自治体や地域は多いですが、抽象的で具体的な発信が少ない。活性化は経済発展のみではなく、むしろ、他の分野が重要であると考えます。市民活動の活性化・地域スポーツの活性化・高齢者の社会進出・学生世代の世界進出・文化芸能の魅力発信・農業漁業の生産性向上と後継者育成・学校教育の探究学習/読解力向上・生涯学習など、地域活性化が経済だけと考えられる昨今、他の分野での活性化が「町」の元氣を生み出し、楽しく明るい、「町」になると強く考えます。 これまでの活動を糧に「葉山町」を元氣にする方法を提案し、町民目線で町民発信の町づくりを共に作っていけたらと思います。

自分の育った葉山町が大好きで、もっともっと「町」をみんなが好きになってもらえる事を目標に。

民主国家・民主主義の私の考え

昨今、国家や地方自治体で民主主義の捉え方に国民の不安や不満が生まれ、議論がされる一方で、そこに住む人びとの意見や感情、思いといった一番大事なことが軽視されていると感じます。行政や一部の政治家・企業による政策が目に付き、民主主義が破壊されている。議会制民主主義の破壊が始まり、強行採決や審議拒否、多数決の正当性を押し付けていす。

少数派の意見をしっかりと大事にしてこそ民主主義と言えるのではないでしょうか。

議員定数削減を財政削減の目的だけにした政策は、議会制民主主義の崩壊と捉えています。民主主義はより多くの意見があって成熟するものであって、数を減らすことは逆行です。

ですが、意見の大前提には、政治家による仕事の達成度、満足度に町民がその対価や行政サービス低下・増税が根底にあると感じます。報酬の定めを改正し、議会出席数・質問・提案数での対価、また外部給の有無によって基本給の減額、扶養手当や住宅手当を創出し、本業や資産を持つ人のみが議員になりやすい仕組みを変え、誰もが政治に関わる機会を持てる社会の実現を。